漢方コラム

東洋医学「表裏一体」考
病 膏肓に入る

日野原 正 (獨協医科大学名誉教授)

東洋医学では診察時に、弁証論治の原則として「四診」と「八綱弁証」を行う。前者は初診時に望診 (見る)、聞診 (聴く,嗅ぐ)、問診 (問う)、切診 (触れる)をして、その結果を次の八綱目、陰陽・表裏・寒熱、虚実を弁証し、患者の現状を分析、診断、投薬、治療をすることである。

東洋医学での「表裏」には、三つの解釈がある。すなわち、1)上半身を「表」、下半身を「裏」とするもの、2)太陽に曝された背中を「表」、蔭の腹部を「裏」とするもの、3)下図のように、皮膚表面すべてが「表」で、内臓を「裏」とする考えである。この考えは、疾患の軽重を考える時に説得力があり、実際的である。すなわち、皮膚から深部数センチメートルが「表」、その内部が「裏」とするもので、これによって、からだは「表裏一体」になると説く。

八綱弁証 腹部横断面

病は「表」のうちに手当(鼻風邪やのどの痛みがあったら直ぐに嗽をし、葛根湯を服用、卵酒を飲んで早寝)して体を休めれば、早く良くなるが、病が「裏」に入ってしまって気管支炎、肺炎になると治りにくいとされる。また「病、膏肓に入る」は、病魔が心臓の下や横隔膜の上などに逃げ入ったら難治となるの意である。

一般に、表は良くて、裏は陰鬱の意があると考えられているが、私は「表」より「裏」の方が大切と考えている。内臓が不健康ならば顔の色つやも悪かろうし、百万円のスーツを着ていても、人品・教養が伴わなければ化けの皮が剥がれるように、目に見える表面より内面の磨き(陰徳)に価値がある。

日本列島も同様で、太平洋に面した地域も「表」ならば、一千年余にわたって大陸文化をわが国にもたらした日本海に面した北陸の地も「表」、横浜が表とされたのは150年来のことである。そして内陸の県(栃木、群馬、埼玉、山梨、長野、岐阜、滋賀、奈良)、日本列島の背骨を作っている山脈群が「裏」と考える。原子力発電が実施される以前は、これらの国々からの水力発電によって都会は快適な生活が保証されてきたのである。

わが国土は、急峻な流れによって飲料水も綺麗であり、田畑も灌漑されて生活が豊かである。また、家庭を見ても、裏方(他人の夫人の敬称の意あり)が健康で昼夜子育てをしてくれ、さらに隣近所との付き合いを円滑に仕切ってくれているから、一家の主人は安心して仕事に精が出せるのである。

さて私は、裏口入学という言葉は、堂々と正面の門から入らない陰湿な感があり、この点は裏口入社も同じである。しかし実態は裏方(内部)にいる重要人物に口を利いて入学・入社しているので、学長、理事長、選考委員長、また社長、専務、重役にコネを求めて有利に初志を画策している、そう解釈するのが理に叶ってはいまいかと考えている。

[付]北朝鮮は日本をこう見ている
渤海使仮定推定航路図 渤海国(698〜926年)は満州から朝鮮半島北部、現ロシア沿海地方にかけて栄えた国家。大祚・栄によって建国、交易によって栄え、唐からは「海東の盛国」とされた(『新唐書』)。10世紀初期、契丹(遼)により滅ぼされるまで治世15代。わが国との交流は、始め唐、新羅との対立から軍事協力の目的であったが、次第に経済的交易となり、のち文化的交流となった(菅原道真と渤海使の漢詩応酬の記録あり)。渤海使の来日は、800〜910年まで34回を算する。
井上秀雄:古代挑戦史 NHK市民大学 1988.4
上田 雄:渤海国の謎 講談社現代新書 1992.7
濱田耕策:渤海国興亡史 吉川弘文館 2000.11
佐藤権司:朝鮮通信使 随想社 2007.8

文:日野原 正「宇医会報 第504号 平成26年7月1日」より


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