漢方コラム

「お母さんのくすり」

戸村 光宏 (塩谷町 戸村医院 院長)

抱っこされてお母さんの顔を見つめる赤ちゃんの目。なんだかとっても安心しきった目です。

母子同服

他の人が抱っこしているときとはちょっとちがいます。特に、新米お父さんが抱っこすると、赤ちゃんは不安そうに見えますが、それは私の気のせいでしょうね。でも、あんなに肩を挙げてぎこちなく抱っこすれば、見ているこちら側が不安になります。

まだ生まれて何日も経っていないのに、お母さんがわかるんですね。お腹の中に十ヶ月もいたのですから、赤ちゃんでもわかるんでしょうね。お母さんと赤ちゃんの絆です。

はじめのころはもうつきっきりで赤ちゃんと過ごします。なりたてのお母さんは、大きな喜びと、それから不安とのはざまで、大変ですよね。

おっぱいが出なかったり、うまくのんでくれなかったり。便が出なかったり、色が心配だったり。ゲップがうまく出せなかったり。夜、寝かせようとすると泣いてしまったり。

でも、一生懸命におっぱいを飲む胸の中の赤ちゃん。すやすやと眠る腕の中の赤ちゃん。そしてふと目を開けてお母さんを見る赤ちゃん。そんな赤ちゃんのかわいい様子が、不安を一掃してくれます。

私は、生まれたころ、たいへん夜泣きをしたそうです。「苦労したんだよ」と、母親からさんざん聞かされた私は、もう少年になっていましたから、その話にはとても閉口したものです。でも、そんな話をする両親の様子が、楽しそうであったので、それほどの苦労ではなかったのではないかと、思い返しています。あるいは、私がとてもかわいらしい赤ちゃんで、夜泣きの苦労なんかは帳消しにしてしまったのではないかとも、思っていますが、今では確かめるすべはありません。

ところで、夜泣きの激しい子や、いわゆる『疳の虫』が起こる子に飲ませる漢方薬の一つに『抑肝散(ヨクカンサン)』というものがあります。鎮静作用のあるカズラのトゲの釣藤鈎(チョウトウコウ)、頭痛に効果的とされるセリの仲間の川キュウ(センキュウ)など七種類の生薬でできています。

この薬は赤ちゃんのくすりなのにお母さんも一緒に飲みます。お母さんのくすりでもあるのです。赤ちゃんのくすりなのにお母さんも一緒に飲むなんて、どういうことなのでしょうか。赤ちゃんがにこにこすると、お母さんがどんな気持ちか。赤ちゃんが火のついたように泣いたとき、お母さんがどんな気持ちか。お母さんがいらいらしていると、赤ちゃんの機嫌はどうなのか。

昔の人は、お母さんと赤ちゃんの様子をよく見ていたのですね。赤ちゃんの気持ちとお母さんの気持ちはとても関連しているのです。

ということで、精神医学が発達していたとは思えない昔から、お母さんと一緒に飲む治療の仕方があったのです。『母子同服(ぼしどうふく)』といいます。お母さんと赤ちゃんの絆です。

ほら、おくすりだよ。いっしょに飲もうね。まず、お母さんね。あ、まずくないよ。はい、お口をあけて。上あごのところにつけますからね。はい、今度はお水。

あ、飲めたねぇ。えらいねぇ。

文:戸村光宏「しもつけの心・2007年冬」より


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